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教育の重要性を再認識とライドシェアにおける教育とは

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いつもご覧くださりありがとうございます。溝口将太です。今回は前回のブログが前編ならばこちらは後編ということになります。

教育の重要性を再認識ということで2回に分けてお伝えしています。「次回にお伝えします」という部分を中心にさらに掘り下げたいと思います。

前回のブログに関してはこちらをご覧ください。

教育の重要性を再認識とnori-naとの交流会

私の教育方針と信念【後編】

前回は私の信念は高め合いのループだというお話をしました。つまり相手を巻き込むことが前提の信念なので、間違ったことを教えてしまうものなら相手方にも大きな迷惑を被ってしまいます。

もっと言えば、仮に私の講習が間違っていなくとも、会社からしてみれば余計な内容となってしまう可能性もあったりするのです。少しおかしな話だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…でも事実です。

そこで私は先手を打っていました。

それは乗務員としては同僚の先輩…私には心底頼る先輩が4名いました(内1名は在籍中に亡くなってしまいまいたが…)。その頼れる先輩に「こういう内容で講習を行いますが、確認と添削をお願いします」と必ず相談をしていました。こうすることで乗務員の上に立つ者同士で信頼関係を築いていきました。

自己評価もどうかと思いますが、確かな関係を構築することができました。その先輩たちも私をアテにしてくれるようになったのです。

さらに同時に、会社側(運行管理側)にも同様の確認や添削などをお願いしていました。これにより、上で述べた会社にとっての余計な事を認識、排除することができるのです。そもそも自身の教育概要を会社には伝えていたのでこの点はとてもスムーズでした。

もっともっと言いますと、会社と乗務員は相対している部分があります。会社側の意見やおかしなところを抽出し、理事会で密かに共有・対策を立てることにも繋がっていました。

何より、これらの行動で先輩や会社にある程度の責任を投げることができました。数十人を相手にする時は「責任は俺が取るから将太の言葉で伝えてこい」と言ってもらったこともあります。

このように、確認すべき人たちとコミュニケーションを図ることにより、最終的な承認をもって教育という場に臨みます。その結果、私は強気の言い切りという手法を覚えました。絶対の自信を持って相手に伝え、もし間違えたら素直に謝罪をします。実は後日間違いが発覚することも珍しくはないのです。。。

こういう関係が築けるのなら教育担当という立場は決して悪いものではありません。この経験は今でも宝物だと堂々と胸を張れます。

人に伝える立場は前回でもお話した通り、相当のプレッシャーは背負います。ならば分散させればいいやと考えたわけです。



 

人の真価が試される時

人が真価が試される時というのは各々考え方があると思います。私はその中の一つとして、今回はミスを犯した時を挙げたいと思います。

前回の内容で、

相手に何を伝えたいのか一度整理すること、そして何を言われても動じず落ち着いて対応すること…つまり余裕を持つこと。

というお話をしましたが、このスキルが一番に求められる場面、それはトラブルに遭遇、あるいはミスを犯した時なのです。今回はミスを犯したと仮定してお伝えします。

私も人のことが言えた身分ではありませんが、ミスを犯してしまうとどうしても自己の正当化を図ろうとしてしまいます。『自分のここは悪くない。相手のここが悪いからこうなったのだ…』としてしまう方もいるでしょう。

そうではありません。気持ちはわかりますが、最も重要なことは早期の原因究明であり早期解決です。ここは辛くしんどいと思いますが誠実に向き合う必要はあるでしょう。

いつかきっと笑い話になります。

ではミスを犯した者との応じ方ですが、私はとにかく話を聞きました。聞いた後で内容との事実確認を行いました。すると大抵は最初の報告と事実内容がズレています。嘘とまでは言いませんが、自分のミスを正確に伝えることができる人はそれほど多くないのかもしれません。

そこで次に始末書(度合いによっては顛末書)を書いてもらいます。

・何をしてしまったのか…発生したミスや発生状況の認識と説明

・なぜそのミスが起こったのか…原因の究明と認識

・同じミスを犯さないための対策は何か…再発防止策の提案と認識

細かくすればもっとあると思いますが、私はこの特にこの3点を指導の最重要項目としていました。話すと書くのとではまた違います。

つまり、話を聞く⇒事実確認⇒始末書(顛末書)⇒最終対面指導のような流れです。

いつまでも引きずるわけにはいきません。何かの参考になれば幸いです。

実はミスを犯した相手への指導を担当する側も、人の真価が問われる場面でもあったのです。



 

ライドシェアにおける教育とは

ここまでの教育をテーマにしたお話は、ある程度の雇用関係があってこそ成り立つ部分がありましたが、ライドシェアにおいてはどうでしょうか?

私はライドシェアの解禁、それも営利型ライドシェアと勝手に銘打っての解禁を強く望んでいますが、いずれにしろこの教育という部分には必ずぶつかります。これは断言できます。

例えば、利用者が疑問を感じた際は先ずは自分の近くの人に質問すると思います。つまりドライバーへ向けられるということです。ところがドライバーも聞いていなかったりよくわからなかったりするので、利用者に対して明確に答えることができません。これだけで運営、引いてはサービスに対する不信感を募らせてしまうのは無理はありません。

もったいないですよね。

「問い合わせは運営までお願います」それは間違いではありませんが、ドライバーが何も知らないという状況は決して正しい環境化とは言えないと私は思っています。だってドライバーもそのサービスの一端を担っているからです。

しかし全ての不満点を万全に整え、あるいは解決するとなると、特に人件費においては莫大なコストが発生するでしょう。

今のところは運営とドライバーの間に雇用関係が結ばれる気配はありません。当然私もそんな関係は望んでもいません。どう折り合いを着かせるか…これこそ運営とドライバーのコミュニケーションが大切になってくると言えるのです。

私は管理者の存在が必要不可欠だとは思いません。理想は管理者が不要(もしくは限られた範囲)の、一人一人の自覚と管理の下で自由に運行できるスタイルです。そのために今はドライバーも利用者も、そして運営も、ライドシェアの安全性や利便性、MaaSを担う存在になるために盛り上げるために互いが互いを教育し合うようなイメージです。

 



 

最後に…

教育という言葉は環境や状況で目的や在り方はいくらでも変化するものなのかもしれません。しかし共通していることもあります。それは必ずコミュニケーションが発生するということです。向き合うことは共に同じ方向を向くとも言えるのです。この2回のブログが教育する立場の方の少しでも励みになれば幸いです。そしてライドシェアサービスを担う方々にとって、ほんの少しの材料になれば嬉しいです。

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